審決取消請求事件(音素索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書)

解説  発明のその実施の過程に人間の精神活動等と評価し得る構成を含むものであっても、特許請求の範囲の記載全体を考察して、解決課題を実現するための方法を示しているのであれば、特許法に規定された発明に該当すると判示した事例
(知財高裁・平成20年(行ケ)第10001号 判決言渡 平成20年8月26日)
 
第1 事案の概要
 原告は、発明の名称「音素索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書」とする発明を平成15年5月30日に特許出願をした。平成16年10月26日付けに手続補正により明細書を補正した。同年12月17日付けで拒絶査定を受けたので、平成17年1月31日これに対する拒絶査定不服の審判を請求した。特許庁は平成19年10月30日、「本件審判の請求は成り立たない」との審決をした。本件は、これを不服として審決取消訴訟を提起した。

第2 主な争点
原告の主張
 @本願の請求項1・2との関係を考慮せずに本願発明を認定した誤り(取消事由1)、 A本願発明の辞書を引く方法が人の精神活動又は人的な取り決めであると判断した誤り(取消事由2)、 B本願発明においてソフトウェアーによる処理がハードウェアー資源を利用して具体的に実現されることが提示されていないと判断した誤り(取消事由3)があるので、審決は違法として取り消されるべきである。

第3 裁判所の判断
(1)判決:特許庁が不服2005−1619号事件として平成19年10月30日にした審決を取り消す。
(2)取消事由2について
 当裁判所は、本願発明が、人の精神活動又は人為的取り決めであり、自然法則を利用したものとは言えないとした審決の論理及び結論には誤りがある。

A 特許法2条1項所定の意義
 特許法2条1項は、発明について「自然法則を利用した技術思想の創作のうち高度のもの」と規定している。従って、ある課題解決を目的とした技術思想の創作が、いかに、具体的であり有益かつ有用なものであったとしても、その課題解決に当って、自然法則を利用した手段が何ら含まれていない場合には、そのような技術思想の創作は、特許法2条1項所定の「発明」には該当しない。

B ところで、人は、自由に行動し、自己決定することができる存在であり、通常は、人の行動に対して、反復類型を予見したり、期待することは不可能である。従って、人の特定の精神活動(社会活動、文化活動、仕事、余暇の利用等あらゆる活動を含む)、意思決定、行動態様等に有益かつ有用な効果が認められる場合があったとしても、人の特定の精神活動、意思決定や行動態様等自体は、直ちに自然法則を利用したものとはいえないから、特許法2条1項所定の「発明」に該当しない。
 他方、どのような課題解決を目的とした技術思想の創作であっても、人の精神活動に等に有益・有用であったり、これを助けたり、これに置き換える手段を提供することが通例であるといえるから、人の精神活動等が含まれているからといって、その事のみを理由として、自然法則を利用した課題解決手法ではないとして、特許法2条1項所定の「発明」でないということはできない。

C 以上の通り、ある課題解決を目的とした技術的思想の創作が、その構成中に、人の精神活動、意思決定又は行動態様を含んでいたり、人の精神活動等と密接な関連性があったりする場合において、そのことのみを理由として、「発明」であることを否定すべきではなく、特許請求の範囲の記載全体を考察し、かつ、明細書等の記載を参酌して、自然法則の利用されている技術思想の創作が課題解決の主要な手段として示されていると解される場合には、「発明」に該当するというべきである。

D そこで、特許出願に係る特許請求の範囲に記載された技術思想の創作が自然法則を利用した発明であると言えるか否かを判断するに当っては、特許出願に係る発明の構成ごとに個々別々に判断すべきではなく、特許請求の範囲の記載全体を考察すべきである。そして、この場合、課題解決を目的とした技術思想の創作の全体の構成中に、自然法則の利用が主要な手段として示されているか否かによって、特許法2条1項所定の「発明」に当るか否かを判断すべきであって、課題解決を目的とした技術思想の創作からなる全体の構成中に、人の精神活動、意思決定又は行動態様からなる構成が含まれていたり、人の精神活動等と密接な関連性を有する構成が含まれていたからと言って、そのことのみを理由として、特許法2条1項所定の「発明」であることを否定すべきではない。

E そのような判断に照らすならば、審決の判断は、 @「対訳辞書の引く方法の特徴というよりは、引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって……対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行なうべき動作を特定した人為的取決めに留まるものである」などと述べるように、発明の対象たる対訳辞書の具体的な特徴を全く考慮することなく、本願発明が「方法の発明」であることを理由として、自然法則が利用されていないという結論を導いており、本願発明の特許請求の範囲の記載の全体的な考察が行なわれていない点、及び Aおよそ、「辞書を引く方法」は、人間が行なうべき動作を特定した人為的取り決めであると断定し、そもそも、なにゆえ、辞書を引く動作であれば「人為的な取り決めそのもの」に当るかについて何ら説明が無いなど、自然法則の利用に当らないとしたことの合理的な根拠を示していない点において、妥当性を欠く。従って、審決の理由は不備であり、その余の点を判断するまでもなく、取消しを免れない。

F 前記理由のみならず、本願発明の特許請求の範囲の記載においては、対象となる対訳辞書の特徴を具体的に摘示した上で、人間に自然に備わった能力のうち特定の認識力(子音に対する優位的な識別能力)を利用することによって、英単語の意味等を確定させるという解決課題を実現するための方法を示しているのであるから、本願発明は、自然法則を利用したものと言うことができる。
 本願発明には、その実施の過程に人間の精神活動を等評価し得る構成を含むものであるが、そのことゆえに、本願発明が全体として、単に人間の精神活動等からなる思想の創作に過ぎず、特許法2条1項所定の「発明」に該当しないとすべきではなく、審決には、その結論においても誤りがある。

 以上によれば、その余の点について判断するまでも無く、審決は違法であり、原告の請求は理由がある。

第4 考察
 本件は、「発明」の該当性が争われた事例である。本願発明は、「方法の発明」であったことから、「発明」の該当性について争われたものと思われる。判決は、発明のその実施の過程に人間の精神活動等と評価し得る構成を含むものであっても、特許請求の範囲の記載全体を考察して、解決課題を実現するための方法を示しているのであれば、特許法に規定された発明に該当すると判示したものである。本件は、知財高裁の判断であるから、今後の実務上の指針・参考となると思われるので紹介した。
以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '10/02/26