審決取消請求事件(臀部拭き取り装置並びにそれを用いた温水洗浄便座及び温水洗浄便座付き便器)

解説  審決取消請求事件において、補正が当初明細書等に記載した事項との関係において新規事項追加と判断される場合についての解釈が示された事例
(知的財産高等裁判所 平成27年(行ケ)第10245号 判決言渡 平成28年8月24日)
 
第1 事案の概要
 被告は、名称を「臀部拭き取り装置並びにそれを用いた温水洗浄便座及び温水洗浄便座付き便器」とする発明について特許出願(特願2007−232005号)し、平成22年9月3日に手続補正(本件補正)をした。同年10月7日に拒絶理由通知を受けたため同年11月2日に手続補正をし、同年12月10日その設定登録(特許第4641313号)(本件特許)を受けた。
 原告が、本件特許の請求項1、2、15、・・に係る発明についての特許無効審判請求(無効2015−800036号)をしたところ、特許庁は、平成27年11月11日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(本件審決)をした。原告が本件審決に対して取消訴訟に臨んだものである。
 争点は、[1] 補正における新規事項の追加(特許法17条の2第3項)の有無(取消事由1)、[2] サポート要件(特許法36条6項1号)の充足の有無(取消事由2)及び、[3] 進歩性判断の是非(取消事由3)である。
 ここでは取消事由1の請求項15についての本件補正が新規事項追加で無効理由に該当するとした判決の部分のみを紹介する。

第2 判決
 特許庁が無効2015−800036号事件について平成27年11月11日にした審決を取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。

第3 理由
 当初明細書等の請求項1は、次のとおりである。
 「トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、便座を昇降させる便座昇降部と、前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、前記便座昇降部によって前記便座が上昇された際に生じる便器と前記便座との間隙を介して、前記便座の排便用開口から前記拭き取りアームに取り付けられた前記トイレットペーパーが露出するように、前記拭き取りアームを駆動させる拭き取りアーム駆動部とを備える、臀部拭き取り装置。」
 本件補正は、上記請求項1から便座昇降部や拭き取りアームを駆動させる「便座と便器との間隙」を除く等した、次のとおりの請求項15を新設するなどしたものである。
 「トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、前記臀部を拭き取る位置まで前記拭き取りアームを移動させる拭き取りアーム駆動部とを備えることを特徴とする、臀部拭き取り装置。」 (なお、本件特許の請求項15に係る発明は、平成22年11月2日付け補正により、上記請求項15と、同じく本件補正により新設された、拭き取りアームが移動するのが「便座と便器との間隙」とする請求項16とを併せて請求項15としたものである。)
 本件補正のうち、便座昇降部を除くとした補正事項は、当初明細書等の請求項1に記載された「便座と便器との間隙」が、便座昇降部により形成されるものには限定されないとするものであるから、便座昇降部以外の手段で間隙が形成されても、又は当初から間隙が形成されていてもよいことになる。このように、本件補正は、当初明細書等の請求項1の発明特定事項を削除し、発明を上位概念化したものである。
 審決は、便座昇降部は本件発明の目的を達成するために必ずしも必要なものではなく拭き取りアームを移動させるための間隙が便器と便座との間に形成されさえすればよいことは、当業者にとって自明の事項であり、公開特許公報(特開平11−178745号公報)によれば、便座昇降部によらずに便器と便座との間に間隙を設けることは、本件特許出願前に公知であったから、拭き取りアームを移動させるための、便座昇降部により便座が上昇された際に生じるものに限定されない便器と便座との間隙は、当初明細書等に実質的に記載されていたものといえると判断した。
 そこで、以下、検討する。当初明細書等の記載には、便器と便座との間隙を形成する手段としては便座昇降装置が記載されているが、他の手段は、何の記載も示唆もない。
 すなわち、補正前発明は、便器と便座との間隙を形成する手段として、便座昇降装置のみをその技術的要素として特定するものである。
 そうすると、便座と便器との間に間隙を設けるための手段として便座昇降装置以外の手段を導入することは、新たな技術的事項を追加することにほかならず、しかも、上記のとおり、その手段は当初明細書等には記載されていないのであるから、本件補正は、新規事項を追加するものと認められる。
 被告は、当初明細書等に接した当業者にとって、便器と便座との間に拭き取りアームを移動させるための間隙さえ形成されていればよく、その手段が当初明細書等に例示されたもの限られないということは、自明の事項であると主張する。
 しかしながら、便器と便座との間の間隙を形成する手段が自明な事項というには、その手段が明細書に記載されているに等しいと認められるものでなければならず、単に、他にも手段があり得るという程度では足りない。上記のとおり、当初明細書等には、便座昇降装置以外の手段については何らの記載も示唆もないのであり、他の手段が、当業者であれば一義的に導けるほど明らかであるとする根拠も見当たらない。
 また、被告は、公開特許公報(特開平11−178745号公報)には、便座昇降装置以外の手段で便器と便座との間に間隙を設ける技術が開示されているから、当初明細書等に便座昇降装置以外の手段で便器と便座との間に間隙を設けることは、当初明細書等に実質的に記載されていると主張する。
 しかしながら、上記の自明な事項の解釈からいって、他に公知技術があるからといって当該公知技術が明細書に実質的に記載されていることになるものでないことは、明らかである。のみならず、上記公報に記載された技術は、容器と座部との間に介護者が手を入れられる隙間を設けることを開示しているだけであり、便器と便座との間に機械的な拭き取りアームが通過する間隙を設けることとは、全く技術的意義を異にしている。
 以上のとおりであるから、本件補正が、新規事項の追加にあたらないとした審決の判断には、誤りがある。したがって、取消事由1は、理由がある。
 以上のとおり、取消事由1・・・に理由があるから、取消事由3について判断するまでもなく、審決を取り消すこととして、主文のとおり判決する。

第4 考察
 自然法則を利用した技術的思想の創作である発明を明細書等に文章で記載することの困難性に鑑みて特許出願後に明細書等の記載内容を補充・訂正する補正が認められている。補正は遡及効を有し特許出願の時点から補正後の内容であったことにされる。一方、新規性・進歩性、等の特許要件は出願時を基準に判断される。そこで、補正によって当初明細書等に記載した事項との関係において新たな技術的事項を導入することになる「新規事項追加の補正」は拒絶理由、無効理由とされていて許されない。本判決では補正が当初明細書等に記載した事項との関係において新規事項追加と判断される場合についての解釈が示された。
 実務の参考になる部分があると思われるので紹介した。
以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '17/05/15