審決取消請求事件(酸味のマスキング方法)

解説  審決取消請求事件において、特許庁が「進歩性あり」と判断したものを知財高裁が取り消した事例。
(知的財産高等裁判所 審決取消請求事件 平成30年(行ケ)第10164号 令和元年8月28日判決言渡)
 
第1 事案の概要

 被告は、特許第3916281号(発明の名称:酸味のマスキング方法、請求項の数:2)(本件特許)の特許権者である。原告が、本件特許に無効審判請求したところ(無効2014−800118号事件)、最終的に被告は、明細書及び特許請求の範囲の訂正請求をし(本件訂正)、特許庁は、本件訂正を認めた上、審判請求は成り立たないとの審決(本件審決)をした。原告が、本件審決の取消しを求める本件訴えを提起したものである。
 本件審決の理由の要旨は、本件発明(本件訂正後の請求項1に係る発明)は、特開昭59−21369号公報(引用例)に記載された発明(引用発明)等に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとはいえないというものである。
 本件審決ではサポート要件の充足性も審理され「サポート要件を充足する」との本件審決に対してこの判断が誤りであるとする取消事由2も本件訴訟で主張されたが、ここでは、進歩性の判断に関する部分(取消事由1)のみを紹介する。


第2 判決

1 特許庁が無効2014-800118号事件について平成30年7月11日にした審決中、請求項1に係る部分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。


第3 理由

取消事由1(進歩性に関する判断の誤り)について

本件発明と引用発明との対比
 本件発明と引用発明との一致点(食酢を含有するドレッシング、ソース、漬物、及び調味料からなる群より選択される少なくとも1種の製品に、酸味のマスキング剤を添加する、該製品の酸味のマスキング方法である点)及び、相違点が、本件審決の認定したとおりであることは、当事者間に争いがない。
 したがって、本件発明と引用発明とは、
 「製品の含有する食酢が、本件発明では醸造酢であるのに対し、引用発明ではそのような特定はない点」(相違点1)及び、
 「酸味のマスキング剤が、本件発明ではスクラロースであり、その添加量が製品の0.0028〜0.0042重量%であるのに対し、引用発明ではアスパルテームであり、その添加量が製品濃度で1〜200mg%である点」(相違点2)
 において相違する。なお、1〜200mg%=0.001〜0.2重量%である。
 このうち相違点1については、引用発明には対象となる酸味の強い食品、調味料の例として「醸造酢、ビネガー、合成酢等の食酢、すし酢、合せ酢等の加工酢」が挙げられているので、当業者において、引用発明の食酢として醸造酢を用いることは容易に想到することができたものであり、被告も明らかに争わない。そこで、以下、相違点2に係る容易想到性について検討する。

 相違点2の容易想到性
 (特開平8−205814号公報、小磯博昭ほか5名「スクラロースの味覚特性と他の高甘味度甘味料との比較」日本食品化学学会誌Vol.2(2)、1995、110〜114頁、特開平8−196240号公報、特開平8−242805号公報、特開平8−224075号公報の)各文献には、ショ糖の約650倍の甘味を有する非代謝性のノンカロリー高甘味度甘味料であるスクラロースが、アスパルテーム等の他の高甘味度甘味料と比較して、甘味の質においてショ糖に似ているという特徴があることから、多くの種類の食品において嗜好性の高い甘味を付与することが見込まれているとの記載があり、加えて、本件出願前に、ショ糖や、アスパルテーム、ステビア、サッカリンといった慣用の高甘味度甘味料が酸味のマスキング剤としての機能を備えることが、当業者に周知であったことからすると、引用発明のアスパルテームに代えてスクラロースを採用してみることは、当業者が容易に想到することができたというべきである。
 また、各文献には、スクラロースをその甘さが感じられる閾値より低い濃度で用いた場合でも、塩なれ効果、卵風味の向上効果を奏すること、製品100重量部に対して0.0001〜0.1重量部(製品に対して0.0001〜0.1重量%)のスクラロースを用いた実施例によれば、カプサイシン0.001%のとき、甘味度が0である0.0001重量部(同0.0001重量%)又は0.005重量部(同0.005重量%)で辛味増強効果を奏すること、スクラロースの甘味を感じさせない0.0025重量%のアルコール/スクラロース水溶液でエチルアルコールの苦味の抑制効果を奏することの各記載がある。
 (上述した各文献における本件特許の出願日において知られていた事柄を示す)記載によれば、スクラロースの添加については、向上させようとする風味や製品によって使用量は上下するものの、下限値として、製品に対して0.0001重量%、0.0025重量%、0.005重量%で用いたものなどが知られており、スクラロースの甘味を感じさせない量であっても製品の風味の向上が可能であることを当業者は認識していたものと認められる。
 他方、引用例には、アスパルテームによる酸味緩和効果を得るための下限値として1mg%(0.001重量%)、1.5mg%(0.0015重量%)、5mg%(0.005重量%)が挙げられ、上記のスクラロースと同様のレベルの使用量で酸味のマスキングが行えることが記載され、更に、アスパルテームの甘味により、食品・調味料の呈味バランスが崩れないようアスパルテームの添加量は食品・調味料の種類に応じ、適宜設定すべきであるとされている。
 また、酸味のマスキングは、甘味の付与を目的とするものではなく、所望の酸味のマスキング効果を奏する場合には、甘味がつきすぎて味のバランスが崩れることがないように、甘味料の使用を減らすことは考えても、増量することは考えないから、スクラロースを酸味のマスキング剤に使用する場合であっても、当業者は、酸味のマスキングが実現可能な低い濃度でスクラロースを使用することを指向する。
 そうすると、スクラロースを、引用発明の食酢を含む食品(ドレッシング、ソース、漬物、及び調味料などの製品)における、酸味のマスキング剤として使用するにあたり、酸味緩和効果が得られるものの、スクラロースの甘味により前記製品の旨味バランスを崩さない濃度範囲のうち低い濃度を、製品ごとに選択して、スクラロースの従来の使用濃度である0.0001〜0.005重量%に重複する0.0028〜0.0042重量%という濃度範囲に至ることは、当業者に容易であったということができる。
 そして、(本件訂正の訂正請求書に添付された明細書である)本件明細書の実施例2〜4を参照しても、0.0028〜0.0042重量%の濃度範囲を境にして、当業者の期待、予測を超える格別顕著な効果を奏しているとは評価できない。
 以上によれば、アスパルテームを製品濃度1〜200mg%(=0.001〜0.2重量%)で添加する引用発明から、スクラロースを製品の0.0028〜0.0042重量%で添加することは、容易に想到することができたものである。

 以上のとおりであるから、本件審決の進歩性に関する判断には誤りがあるので、原告の取消事由1は理由がある。


第4 考察
 特許庁が「進歩性あり」と判断したものを知財高裁が取り消した判決である。進歩性の判断で実務の参考になるところがあると思われるので紹介した。
以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '20/05/16