発明の進歩性の判断

   出願発明と引用発明の特許分類が異なる場合の発明の進歩性の判断
 
1.事件の概要
 本願発明は、アルミニウム基板シートに感光性物質の被覆を有する平板用印刷プレートに係るもので、平板状の粒子形状を有する非溶融結晶性アルミナの水性スラリーで砂目立てをすることにより、金属又はプラスチック表面などの平滑表面を疎面化する技術により、耐摩耗性の著しい向上を図っている。

 引用発明(米国特許第3121623号明細書)は、硝子、金属、プラスチック等の精密ラップ加工に好適なラップ用研磨剤の製法に関し、未溶融酸化アルミナを用いるがその大部分が均一な円板もしくは平板状配置をなす特徴を有することから、平板状アルミナ結晶が、材料と平行な表面によりラップとラップ仕上げすべき材料との間にそれ自体配向する傾向を有する結果、前記結晶は精密ラップ仕上げ作業用に特に好適であり、深いワイルドな引っ掻き傷が発生する事故は最小限に抑制することが可能となること、ひいてはいかなるラップ仕上げにおいても優れた表面形成が可能となることが認められることが認められる。


2.原告の主張
 原告は、産業上の利用分野の相違、技術課題の相違、及び技術課題を解決するために採用する構成の相違を考慮すると、砂目立てとラッピングとは、技術分野を異にすると主張する。

3.裁判所の判断
(1)産業上の利用分野
 産業上の利用分野についてみると、本願発明が平板印刷用のプレートの製造に係るものであるのに対し、ラッピングは、古くから金属や宝石の研磨に用いられてきた方法であるが、光学部品、水晶、半導体結晶、セラミック等の電子材料の加工に広く用いられているものであるから、両者は産業上の利用分野を異にするものということができる。
 ところで、技術分野の親近性を考える上で、産業上の利用分野が同一であれば、技術分野の親近性は認められることが多いとはいえるとしても、逆に、産業上の利用分野が同一でないからといって、技術分野の親近性が認められないと即断することはできない。
 なぜなら、ここで問題としている技術分野の親近性とは、ある技術分野に属する当業者が、当該分野における技術開発を行うに当たり、技術的観点からみて、加工原理、方法及び使用する材料等について、類似し、又は共通する他の技術分野がある場合において、その他の技術分野に属する技術を転用することを容易に着想し得るか否かを判断するための概念であり、両技術の社会、経済的な用途ないし利用状況には必ずしも共通性を要するものではないからである。

(2)特許分類の相違について
 原告は、両発明が技術分野を異にすることは、特許分類の面から見ても明らかであると主張する。
 然し乍ら、特許分類は、特許文献を分類整理して、利用者に広く、かつ、容易に所要の案件の調査を可能ならしめるためのものであることが認められるから、特許分類は、一般利用者を対象とし、その利便に供する目的で作製されたものにすぎないということができる。
 そして、これによって、事案に応じ個別的な検討が求められる発明又は考案の進歩性判断の前提となる技術分野が最終的に定まるものでないことはいうまでもないところであり、既に認定した両発明の技術的内容によれば、たとえ、前記のような特許分類における相違があるとしても、本願発明の砂目立ての分野とラッピングの分野との親近性を否定することはできないものというべきである。

(3)原告の主張について
 原告は、本願発明のような水性スラリーを使用する湿式ラッピングにおけるラップ用研磨剤としては、球状であることが要求されていたことからすると、引用発明の平板状のラップ用研磨剤を砂目立てに使用することを想到することは困難であり、また、非溶融アルミナは、従来、専ら、光沢のある平滑面を実現するための研磨剤として溶融アルミナよりも優れているとして使用されていたものに過ぎないから、非溶融の平板状結晶性アルミナを砂目立て用研磨剤として採用することを想到することはできないと主張する。
 しかしながら、ラップの方式については格別湿式、乾式の限定がないラップ仕上げにおいて、ストック除去に優れていること、仕上がり表面が優れていること、ラップ粉の可使用時間が長いこと、ワイルドな引っ掻き傷がないこと等の点において極めて優れたラップ用研磨剤であるところ未溶融酸化アルミニウムの形状は、円板もしくは平板状配置をなすことが示されていたことからすると、一般にはラップ用研磨剤として前記のような条件が要求されていたとしても、このことが直ちに引用発明の平板状のラップ用研磨剤を砂目立てに使用することの障害となるものではなく、前記主張は失当である。
 しかして、引用発明には、溶融酸化アルミニウムからなるラップ用研磨剤は鋭いエッジを有する不揃いの形状の粒子であるため、ラップ仕上げ表面に深い引っ掻き傷を生ずるのに対し、非溶融の酸化アルミニウムは平板状の形状をなすため、この平板状アルミナ結晶が材料と平行な表面によりラップとラップ仕上げすべき材料間にそれ自体配向する傾向を示すことから、深いワイルドな引っ掻き傷の発生を最小限に抑えることができるとの記載が認められる。

 従って、本願発明の奏する優れた耐摩耗性の点は、当業者であるならば、前記引用発明から十分に予測可能というべきであるから、本願発明の奏する前記効果を格別のものとすることはできず、この点に関する原告の主張は採用できないとして、審決が支持された。


4.考察
 前記判決によれば、技術分野が相違する場合であっても、技術的に親近性がある場合には、当業者が容易に発明できたと判断されるとしている。
 また、特許分類表は利便上の分類であって、発明の進歩性判断の前提となる技術分野が最終的に定まるものではないとしており、審決を支持しているが、その判断に賛意を表する。


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   『特許・塩味茄枝豆の冷凍品事件』
(東京地裁、平成14年(ワ)第6241号特許権侵害差止等請求事件、平成15年2月26日言渡)
 
1.本件の経緯
 平成5年5月20日、日本水産株式会社(以下「日水」という。)は「豆の薄皮に塩味が感じられ、かつ、豆の中心まで薄塩味が浸透している緑色の維持されたソフト感のある塩味茄枝豆の冷凍品」として、特許出願し、平成10年9月25日特許権(特許第2829817号、以下「本件発明」という。)が成立した。
 これに対し、8件の特許異議の申立てがあった(ニチロ、ニチレイ、マルハ、明治乳業等)が、特許庁は、平成13年6月、総ての特許異議の申し立てを退け、本件特許を維持した。

 これを受けて、日水は、冷凍枝豆を販売している国内41社に対し本件特許の使用料を支払うように通知した。
 平成14年2月、ニチロは、本件特許について特許無効審判の請求を特許庁に行った。
 一方、権利者の日水は、ニチロを相手に本件特許の特許権侵害を理由として東京地裁に提訴した。

 特許無効審判の請求に対し、特許庁は、平成15年2月20日、本件特許を「無効とする」との審決をした。
 東京地裁は、特許権侵害訴訟において、本件発明は「無効理由があることが明らかである」として、原告(日水)の請求を棄却する判決を言い渡した。
 日水は、この特許権侵害訴訟の控訴を断念したことが報じられている。

 特許無効審判では「特許を無効とする」という判断が示されたが、日水は、特許庁の下した無効審決に対して、東京高裁に「審決取消し」の訴えを提起し、あくまでも本件特許の確立を目指している。

 特許無効審判事件は以上の経過をとって、現在も係争中であるが、このうち、特許権侵害訴訟事件について説明する。


2.裁判所の判断
 (1)本件発明を構成要件に分説すると、以下の通りである。
 A 豆の薄皮に塩味が感じられ、かつ、
 B 豆の中心まで塩味が浸透している
 C 緑色の維持された
 D ソフト感のある
 E 塩味茹枝豆の冷凍品

 (2)被告製品が本件発明の技術的範囲に属することについては争いがない。

 (3)本件訴訟は、本件発明について、新規性が欠如するか、進歩性が欠如するか、訂正要件違反による無効理由が存在するか、損害額がいくらかが争点となる。

 a.進歩性欠如による無効理由の有無について
 株式会社ノースイ(以下「ノースイ」という)は、本件発明の出願の日以前の平成3年以降、塩味茹枝豆の冷凍品を国内販売していた。
 ノースイ製品は、以下の事実から、単に莢の表面に塩水が付着していただけではなく、莢の内部まで塩が浸透して、食した際に塩味が感じられる製品であり、構成要件Aを備えていたものと認められる。
 イ)塩味が付された「塩味」枝豆として開発され、その旨報道されていた。
 ロ)ブランチング工程において9%食塩水が用いられており、これはレギュラー・ブランチング製品(0.2〜0.5%)や「塩ゆでえだまめ」のブランチングの食塩濃度に比べて格段に高い濃度である。
 ハ)ノースイ製品の包装袋には、塩味を付けてあるため自然解凍するだけで(塩を振らないで)使える旨記載されている。
 ニ)大量に販売されたノースイ製品に苦情(包装の表示記載に対して)などない。
 ノースイ製品は、製品の開発経緯、平成3年に作成された各文書の記載内容、ノースイ製品に間する報道、包装袋の記載内容、その輸入量によれば、構成要件C、Dを備えていたものと認められる。
 実験報告書によれば、熱水ブランチング及びスチームブランチングの時間配分に応じて、豆に浸透する塩分濃度に差異が生じていることからすれば、熱水ブランチング及びスチームブランチングの時間配分やスチームの温度(圧力)、噴射量等は、「豆の中心まで塩分浸道している」との構成を備えるか否かという点に影響を及ぼす条件であると認められる。
 そうとすると、ノースイ製品の製造条件が明らかでない以上実験報告書の記載結果をもって、ノースイ製品が構成要件Bを備えていたとまでは認められない。
 以上の通り、ノースイ製品と本件発明は、構成要件A、C及びDにおいて一致する。

 b.容易想到性の有無について
 本件発明の出願当時、さや付き枝豆の豆そのものに調味液を浸透させる方法として、ブランチング後、調味液に漬け込むことは周知の技術であったと認められる。枝豆をブランチング後に高濃度の味付け液に浸漬した場合には、ブランチング条件に関わりなく、豆の中心部にまで薄い塩味が浸透するものと認定することができる。
 また、ブランチングする際の食塩水における塩分濃度、加熱時間、加熱温度等を適宜調整し、組み合わせることによって、緑色を維持しながらもそのような構成を達成できることは、格別の証拠を検討するまでもなく、健全な社会通念ないし経験則上明らかであるから、本件発明出願当時の当業者にとって容易であったものといえる。
 証拠によれば、塩分濃度が9%の食塩水で、4分間、茹でさえすれば、豆の中心部まで相当程度に塩分が達し、しかも、鞘の緑色を維持されていることが認められる。この事実に照らすならば、ブランチングの際の塩分濃度を高くしたり、加熱時間を長くしたり、加熱温度を高めたりすれば、緑色を維持しながらも「豆の中心まで薄塩味が浸透している」という構成を容易に達成することが、証拠上も認めることができる。
 以上によれば、本件発明は、本件出願前に日本国内において公然と知られ、また、公然実施された発明であるノースイ製品及び周知慣用手段に基づいて、当業者が容易に発明することができたものであるということができる。
 従って、本件発明は、特許法29条2項により、特許を受けることができないものであり、本件特許は特許法29条2項に違反してされたものであることが明らかであるから、本件請求は、権利の濫用に当たるものとして許されない。
 よって、原告の請求には理由がない。


3.考察
 本件は冷凍食品業界を騒がした事件である。
 本件は、特許権が存在しているにも拘わらず、無効理由が明らかに存在するので、権利の濫用となり、権利行使は認められないとしたものであって、キルビー事件(平成12年4月11日、最高裁判決)に基づく下級審の流れに沿ったものである。
 本件発明は、既に出願から10年が経過していて、紛争が長引いている。この様な状況は、権利の法的安定性を欠き、しかも、長期間を要するのは制度上止むを得ない点があるとしても、企業の活動に混乱を招く虞がある事件であった。


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鈴木正次特許事務所