判例アラカルト1

  目次
  はじめに
1.無効となることが明らかな特許権に基づく権利行使と権利濫用
2.形式的に技術的事項が一致する場合の発明の容易性
3.特許権侵害における主張と立証の問題点
4.職務発明における相当の対価
5.方法の特許に使用する物の国内製造と方法の国外実施
6.特許法102条2項における算出利益の意義
7.いわゆる真正商品の並行輸入における輸入者の注意義務
8.競走馬にパブリシティ権が認められるか
9.原材料表示の中に他人の登録商標を含むラベルの使用
10.不正競争防止法で規制されたドメイン名の使用


  1.無効となることが明らかな特許権に基づく権利行使と権利濫用
 
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平成11年(ワ)第9226号 特許権侵害差止請求事件
(東京地裁平成13年1月30日判決)
 原告X
 被告Y


 事案の概要
一.本件の経緯
 嘱託契約に基づき、被告Yの社内会議に出席し、技術指導を行う立場にあった原告Xは、構成要件A、B、C、D、Eからなり、特にD、Eを備えたことを特徴とする装置の発明(特許第2128996号)の特許権者であり、被告Yは被告製品(実用機)を製造販売していた。
 被告Yは、本件出願以前に被告製品の前身となる構成要件A、B、Cを備えたプロトタイプを完成させ、特許出願している。右プロトタイプは、本件特許に特徴的な構成要件DではなくD′を備えているが、構成要件Eは備えていなかった。その後、被告Yはプロトタイプの問題点を解析、独自開発を進め、本件特許出願以前にD′のDへの変更を決定し、また、Eを独自開発し、Eについて特許出願すると共に右Eをプロトタイプに取り付け被告製品(実用機)を完成させた。
 一方、原告Xは、技術指導を行うべく被告Yの社内会議等に出席してい乍ら、プロトタイプの問題点についての改善策としての構成要件D、Eについては発言せず、被告Yの実用機の独自開発後、被告の開発状況を知った上で本件発明として特許出願し、特許を受けたものである。
 本件はかかる状況下で、XがYを相手取って、差止め及び損害賠償を求めて出訴に及んだ事件である。

二.本件の争点
 原告Xの特許出願は冒認出願であり、本件特許が無効であることから、原告Xの本件特許権に基づく権利行使が権利濫用に当たるか否かの争いがあった。
 (なお、本件では、被告Yは職務発明による通常実施権を有するか否か等についても争いがあったが省略する。)

三.判決(主文)
 原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。


 判旨
 本件では、技術的範囲については、当事者間に争いがないため、前記争点について判断する。
冒認出願による本件特許の無効について
 本件特許の経緯から判断すると、原告Xによる本件特許出願は、発明者でなく、その発明について特許を受ける権利を承継しない者による出願であるから、本件特許は、特許法123条1項6号により無効とされることを免れない。
 そして、特許権に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である(最高裁平成10年(オ)第364号、いわゆる「キルビー特許」に関する事件)から、原告による本訴請求は権利濫用に当たり許されないものである。


 考察
 特許法は、特許権が無効理由を有する場合は、これを無効とするためには専門的知識経験を有する特許庁審判官の審判によることとし(特許法123条1項、特許法178条6項)、無効審決の確定により特許権が初めから存在しなかったものとみなすとしている(特許法125条)。従って、特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存在し、対世的に無効とされないのが原則である。
 しかし、本件で引用された判決(最高裁平成10年(オ)第364号)では、特許権に無効理由が存在することが明らかで、無効審判が請求された場合には無効審決の確定により、当該特許権が無効とされることが確実に予見される場合にも、その特許権に基づく権利行使を認めることは、
 (1)このような特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め等を容認することは、実質的に見て、特許権者に不当な利益を与え、右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので、衡平の理念に反する結果となること
 (2)紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましく、右のような特許権に基づく侵害訴訟において、まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ、無効理由の存在をもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないのは、特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり、訴訟経済にも反すること
 (3)特許法168条2項は、特許に無効理由が存在することが明らかであり、無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中止すべき旨を規定していたものと解することはできないことから、相当でないとして、特許の無効審決確定以前であっても、侵害訴訟を審理する裁判所は、無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断できると解すべきであるとしている。
 確かに、例えば、特許発明が公知技術と全く同一の場合等に、当該特許に基づく特許権の行使を認容することは、本来、公共財産である自由技術の利用を制限することになり妥当でない。また、新規かつ進歩性を有する発明に独占排他権を付与するという特許法の目的に反することにもなる。
 本件は、冒認出願であるとの無効理由を有する特許に基づく権利行使を認めない旨の判断を示したものである。特許法では、特許を受ける権利を有する者のみが特許を受け得る旨規定し、この規定に反する特許は無効事由を有する。これより、特許を受ける権利を有しておらず、特許権享有による利益を受け得ない者の権利行使を認めることは、特許権者に不当の利益を与え、第三者に不測の不利益を与え、妥当でないことは明らかである。特に本件は、権利行使を受けた者が、本来的に本件発明の特許を受ける権利を有する者であったのであるから、権利者の権利行使を認めないとする判断は相当であると考える。
 なお、特許法は、各規定の趣旨に基づき無効事由を限定的に列挙している(特許法第126条第1項各号)が、無効事由の如何に拘わらず、特許権者と第三者の利益、不利益を比較考量し、当該特許に基づく権利行使が権利濫用に相当するか否かを判断すべきである。
 但し、無効事由の存在については、「特許に無効理由が存在することが明らかであること」(無効事由の明白性)を要件とすべきで、かかる明白性は、無効審判での事実認定と同様に、無効事由に該当する事実につき確信を持てる心証が形成されれば、明白性の要件は満たされると解する。
 さらに留意すべき点は、無効事由の存在が明らかな特許に基づく権利行使を相当でないとする裁判所の判断は、特許という行政処分の無効を判断するものではなく、対世的な特許の無効までを判断していないという点である。即ち、裁判所の判断は、訴訟の当事者たる原告と被告の間でのみ判断されているとするのが相当である。
 裁判所が特許の無効事由の有無を判断したことは、本件で引用された判決(最高裁平成10年(オ)第364号 平成12年4月11日判決)が出されたことによって注目を集めるようになったが、それ以前にも、進歩性欠如により無効となる可能性が高いことを認定し、仮処分決定を取り消した事件などが存在しており、裁判所が特許無効事由の存否を判断することは行われていた。
 本件で引用された判決(最高裁平成10年(オ)第364号)後は、地裁レベルではあるが、特許無効に基づく権利濫用を認めた判決(例えば、大阪地裁 平成11年(ワ)第12876号)他、何件かが出されるに至っている。
以上

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鈴木正次特許事務所